【教育】所見が無くなる日を夢見て

この仕事に価値はあるのか。それとも価値を作るのか。

とおるです。

 

学期末の最後の仕事。所見のシーズンがやってきた。

 

所見とは?

皆さんも学校から通知表をもらったことはあるだろう。

いわゆる「あゆみ」というやつだ。

 

その中に成績などと一緒に担任からのコメント欄があったのは覚えているだろうか?

あれが「所見」である。

「いつも掃除を頑張っていました」「友達にやさしくていいですね」「漢字のテストで、連続で100点をとりました」だの、いわゆる数値評価できない部分や特別優れていた部分、成長した部分について記述して書くものだ。

 

これをクラスの全員に書くわけだが、この作業が非常に大変で多大な時間がかかる。

 

どれくらい時間がかかるか

どのくらい時間がかかるかと言えば、これは個人によってかなり変わるので、なかなか一般的な答えを出すのが難しい。が、多くの人がこのシーズンは土日のどちらかを消費して、所見を書いているのが割とよく見られる風景だ。たまに書くのが得意で2,3日で仕上げる強者もいるが、かなり稀である。

 

時間がかかる理由は、ネタが無いのと価値づけが難しいからだ。

 

ネタと価値づけ

所見は記述欄の大きさにもよるが、文字数は150字前後であることが多いらしく、そうなると概ね2~3項目書くことができる。

3項目だと、私の場合大体こんな構成になる。

  1. 学習について
  2. 特活
  3. その他(行事や課題など)

勿論、子供によっては変わるが基本的なスタイルはこんな感じである。

一応、数字に表れないような特筆したことを書く欄なので、子供がそれなりに頑張ったことを書いてあげる必要がある。となれば、クラス全員の頑張った部分を探さなくてはならなくなる。

 

例えば35人学級なら、3項目 × 35人 = 105個。

日々忙殺される中で、105個のネタを探すのはかなり厳しい。

 

さらに厄介なのが価値付けである。

「~ができました。」と書いても良いのだが、「それができたことって何がすごいの?」という話になる。なので「~ができました。~な力が伸びていますね」というように、できたことに対して価値付けをしていく

これを全部にやっていくのだから、頭はすぐにヒートアップである。

 

こんな作業をクラス全員やっていく。吐き気がする。

因みにこれは「通常所見」という部分だが、あゆみには他にも「総合」「外国語」「道徳」の所見がある。書き方は違うが、マジでつらい。

 

実際の辛さ

上記の内容が辛いわけだが、実は本質的な辛さはそこではない。

 

クラスでのエースプレイヤーみたいな子は色々なことができるから、書く内容に困らない。

問題は特筆すべき事項が見つからない子である

 

クラスには優秀で目立つ子だけでなく、むしろそれ以外の子の方が多い。もちろんその子たちにも良さがたくさんあるので、それを何とか拾おうとする。しかし全員が上手くいくわけではない。どう頑張っても良いところが見つからない子もいる。

何なら、The平均みたいな子もいるが、その子自身に全く悪いところは無くても、良いところも見つかりにくいという弊害もあったりする。

 

そういう書きにくい子と言うのは、少なからずクラスにいるのだ。そういう子も絶対に書かなくてはいけないのが所見の辛いところだ。

 

もらった人が見る時間はどれくらいか

では、そんな大変さを乗り越えて子供や親にあゆみが渡った時に、どのくらい文を見るだろうか?

多くて3、4回ほどではないか。

 

もらった時に1回。休み明けに1回。前学期の内容を見て1回とか。

内容によってはじっくりと読んだりするだろうが、回数だけだとそんなに多くないだろう。

 

その数回の瞬間のためだけにこれだけの多大な時間を割く意味は何だろう。

 

 

代わりの評価

通知表には成績や所見のほかに、「行動の記録」という欄がある。

「思いやりがある」とか「外で元気よく遊んだ」とか。これに〇をつけて評価する部分だ。

 

この部分をもっと細かくすれば、所見欄と同じになると思うんだよね。

寧ろ所見より評価項目が多くて明確な分、実態が分かりやすいと思う。

所見よりこっちの方が良いだろう。

 

現場の実際

ここまで所見のことをつらつら書いてきたが、通知表のフォーマットは学校ごとに変えていいことになっているので、すでに所見が無い学校も存在する

よくあるパターンは、個人面談があるから所見は無いですよというもの。

 

知り合いのところは、個人面談も所見も無いというストロングスタイルだが、実際に何も困っていないらしい。

早く、全国的に無くならないかなー。