音読の宿題は嫌い

保護者会のこと

先日、保護者会があった。

冬休みに向けた、ちょっとした保護者会だ。なんのためにあるかも分からない。保護者の方もまぁ忙しいので、そんなに集まりも良くない。それでもクラスの半数程度は来ていたの良い出席率だなと思っていた。

 

とりあえず最近のクラスの様子と今後の予定等についての連絡を行う。勤務校では3学期からランチョンマットを敷くことになったので、その話題を多めに話す。保護者からも大きさ等についてはちょこちょこと質問が出た。

 

ひとまず予想通りに進んでいる中で他に質問が無いか尋ねたところ、ある保護者の手が挙がった。

「うちの子が音読の宿題をやらない時があるのだが、宿題は毎日出されているのだろうか?」とのことであった。

 

音読の宿題とは

吉野の学級では、概ね3つの宿題が出ている。

 

1つ目は漢字だ。毎週水曜日くらいにテストを行うので、そこに向けて各自、練習をするようにしている。範囲は提示するが何を出すかは曖昧にしているので、子どもたちは自分たちで何となく計画を立てて練習している。テストの点数で確認すると、意外に定着率が良いので驚いている。

 

2つ目が計算ドリルだ。教科書に準拠した計算ドリルを購入しているので、復習のため宿題を出している。学習進度と微妙にずれることが多く、正直使いにくくなってきているのが現状だ。

 

そして3つ目が音読である。現在、国語などで学習している物語の単元を音読してくる宿題である。その他にも音読用のスキルなどを使い、色々な題材を読むようにしている。

件の音読の宿題とはこれのことである。

 

音読の宿題は嫌い

吉野は音読の宿題が嫌いだ。

理由はシンプルで、面倒くさいからだ。

 

正直、自分が小学生のときにも真っ先にサボった宿題が音読であった。やる条件がとにかく面倒くさい。

だらだらと音読すること自体も面倒で嫌いであったが、一番は「誰かに聞いてもらう」ということである。親を捕まえて、音読をしなくてはいけないのは非常に面倒くさい。ましてや今時の保護者であれば、遅くに帰ってくることも多く、それまで宿題がお預けという状況も非常に受け入れがたい。

 

しかもやっても達成感が少ないのだ。別に音読自体は本人としてはすらすらできるのだから、毎日宿題に出されても一定レベル以上には上達しない。もちろんちゃんと取り組めば、自分の不出来が見えるのだろうが、音読にそこまでの向上心は無い。毎日、作業ゲーになるなら、やらなくていいやと思うのは人の性だろう。

 

また教員になってからよく分かったが、音読の宿題はやっているかが分からない。漢字や計算は成果物が提出されるので、やってあるかどうかの確認ができるし、子供の習熟度や家庭での支援の様子も分かる。

しかし音読は情報が少なすぎる。音読カードなどを用いて、読んだらチェックする形式であると、読んだかどうかは全くわからない。保護者にサインをもらったりもするが、当然チェックしない保護者もいるので、やっているのかどうかの確認ができないのだ。

 

そもそも吉野は宿題の提出管理が非常に嫌いだ。半ば作業ゲーになるような宿題をやることに、何の意味があるのだろうか。そのため宿題をやってくる子を誉めはするが、未提出でも厳しい指導はしない。

 

子供は宿題をやってもやらなくてもバレない、担任もそれをうるさく言わない。

そんな状況なので、吉野の学級では音読の宿題はアンタッチャブルな領域になっているのだ。 

 

音声を録音すればよいのでは

前々からこの状況は分かっていたので、なんとかしたいなーとは思っていたが、優先度が低い事項だったので放置していた。

しかし今回の保護者会の件もあるので、少しテコ入れしてみようと思ったのだ。

 

音読の難点が物が残らない点である。確認や提出の観点もそうだが、子供にとってやった成果が残らないのが問題である。

じゃあ物が残れば解決するわけで、録音すればよいのでは?

 

勤務校ではGIGAスクールの関係で、一人一台タブレットが配付された。吉野の学級でも日々使っており、だんだん学習用具としての認識が高まってきたところだ。

このタブレットを持って帰って、録音すれば万事解決である。さっそく主任に相談してみた。

 

「ガンガン行こうぜ」

吉野と組んでいる学年主任はベテランの女性だ。ベテラン女性というと、なぜかICT音痴のレッテルをはられがちだが、主任はむしろ推進派である。研究主任というのも大きいだろうが、とにかく一緒に組んでいる主任が推進派だと非常にありがたい。

 

勤務校全体でもそうなのだが、主任はICTに強いわけではないが、「とにかくやってみる」という精神がすごい。吉野がスマートにICTの使おうと無駄に考えている中で、ガシガシ色々と使っていく。わざわざタブレットを使う必要があるかと言われる活動でも、とりあえず使ってみたりしている。この姿勢は、吉野は「泥臭く使う」と表現しているが、非常に学ぶべきことが多い。

 

そんな主任に音読の件を相談したところ、快諾が得られた。何なら「良いね!うちもしよう!」と言って、相談した次の日にはタブレットを持ち帰らせ、宿題をさせていた。決断力が凄まじい。

因みに吉野といえば、音読ファイルの提出先をどうするか悩んで、一歩遅れて宿題を出していた。iPadなので、Airdrop提出かなー。でも提出ファイルがすごーく多くなるのがやだなーとか、チームスで管理したいなーとか考えていた。まぁ、理想的な環境を考えて整えるのが、情報担当である吉野の使命なので(言い訳)

 

音読を「提出する」魔の時代

こうして吉野の学年では音読を「提出する」という、魔の時代が訪れた。提案しておいてなんだが、げに恐ろしい事態である。

ところで音読の提出だが、主任と吉野では実は少し違う意図をもっている。

 

主任は提出することで、子供の音読の様子を把握したり、宿題提出のチェックなどを目的としているようだ。要は今まで無形だったものが有形になるので、ちゃんと管理できるようになると考えている。

最初の保護者の話からも、この考えはある程度賛同できる。結局、保護者も我が子がちゃんと宿題をやっていて、それを先生が把握しているか(指導してくれるか)という点が気になっているからだ。

 

ただし吉野としては、録音の最大の目的は自分の音読の分析と考えている。今までは読むことに注力していたので、自分の音読の出来というのを子供が客観的に振り返ることが難しかった。それが録音された自分の音読を聞くことで、自分がどの程度スムーズに読めているか客観的に捉えることができる。

分析をすれば当然、出来不出来が分かるので音読に対する姿勢が自ずと変わってくる。何なら今後は他者の音読を聞くことさえできる。改めて考えても、学習の質が違うなぁ。

 

始めたばかりなので、録音の提出がどうなるかは分からないが、宿題の一つをとっても一人一台ってすげーパワーがあるなと感じるばかりである。

以上。