先輩なので
吉野もほどほどに社会人をやっているので、職場には後輩というものがいる。
たまには後輩から助けを求められることがあるわけで、「どうしたらいいでしょう?」という質問をちょこちょこ受ける。
そんな時吉野は決まって、「どうしたらいいと思う?」と尋ね返す。
これにはそんなに深い理由は無い。
一番の理由を言うならば、吉野は自分の意見をもたない人がそんなに好きではないからだ。
吉野の思考
吉野は人に質問するのが苦手な人間だ。
何というか気恥ずかしいというか、まぁ不必要なプライドが高いのだろう。
今では自分で訓練したので、ある程度人に聞いたり頼ったりということができる。
ただ質問するのが苦手だったため、何とか自分で解決しようとする癖がついた。
思い込みで行動し失敗してしまうこともあったが、とにかく自分で解決できる方法を考え行動してきた。
そんな思考の人間なので、自然と相手の考えを聞くために「どうしたらいいと思う?」と問い返すようになった。
2台目の掃除機を求めていた
先日、興味深い記事を見付けた。
わたしが好きなライター「しんざき」さんの記事だ。
この記事のしんざきさんの恩師S先生は以下のように述べている。
「けど、アカデミズムの技法を学ぶ上では、質問の仕方は覚えておいた方がいい」
そういう前置きの上で教えてくれたのが、
「質問は、二台目の掃除機を買いにいくつもりでしろ」
これは一台目の掃除機(自分の思考過程)を用意することで、質問を相対化しなさいということだ。
吉野がやっていた行為はこれに近い気がする。
先輩との違い
吉野は質問に対して相変わらず尋ね返していたわけだが、ある日吉野の後輩への尋ね返しを見ていた先輩が「あ、俺は素直に教えちゃうかな~」と話したのだ。
先輩曰く、
- 職業柄、人に教えるのは好き
- なので聞かれたら嬉しくなって教えたい
- 相手もまぁ困って来ていると思うし
とのことであった。
なるほど。とても納得できる。
そして先輩は続けて
「単純なアドバイスとか欲しくなったら俺のところに来れば良いし、自分の考えを検証してもらいたいなら吉野さんの方に行くのが良いんじゃないかな」
と言った。
普通は分からないから聞く
先程のしんざきさんの記事でも、
もちろん、分からないうちはまず「分からない」を表明すること自体が難事ですので、そのハードルを可能な限り下げることは前提として(考えてみると、S先生も最初に「分からない」と表明出来たこと自体を褒めてくれていました)。
その上で、「どんなあてずっぽうでもいいから、まずは何かしらアプローチをしてみて。
そうすれば、「それが何でダメだったのか」というとっかかりが出来るから」と教えています。
これが最初から出来る人って、実はすごーーく少ないんですよ。
と書かれている通り、そもそも「分からない」と表明すること自体難しい。
さらに難しいのは「あてずっぽうでもいいからアプローチする」という点だ。
本当に素人だとあてずっぽうもあてずっぽうになるし、上記はあてずっぽうと言いながら「ある程度考えられること」か「すこーしでも知識があること」を前提としているのではないか。
つまり吉野がやっていたのは「その質問に関する教科書見付けて、読んできて。その上で分かんないとこ聞いてね」という行為に近いのではないか。これはしんどい。
それに対して先輩がしていたのは「その質問は、この教科書を読むと良いんだよー」ということに近いだろう。
吉野の反省と質問者の心得
こう考えると吉野の問い返しはハードな面もある。
質問者が教科書を求めてきているところに「自分で見つけておいで」というのは酷な話である。
相手が何を求めて吉野の所へ来ているかをもう少し考えて答えた方が良いだろう。
一方で、先輩の言葉である
「単純なアドバイスとか欲しくなったら俺のところに来れば良いし、自分の考えを検証してもらいたいなら吉野さんの方に行くのが良いんじゃないかな」
というのは質問者の心得の真理なのではないか。
仮に腹案がある状態で先輩のところに行っても、自分の考えとそぐわないアイディアをもらうだけで何もならない。吉野のところへ来れば、自分の案の検証ができる。
もちろん先輩のところに行き「○○について考えていて~」と話し出せば、同じ状況は作り出せるであろう。
しかし相手がどれくらいのスタンスや厳しさで自分の考えについて検証してくれるかは分からない。
以前、後輩から雑誌に投稿する原稿について添削を頼まれたことがある。これは吉野が「ほどほどにダメ出しをしてくれる」のを期待していたからであろう。
質問者は自分の質問に有効に答えてくれるのは誰なのかというのを考えた方が良い。
そのためには常に相手がどのような答えをくれているかというのを見極める必要がある。