それは自分なのか

先日、マクドナルドでダラダラと教材研究をしていた。

私はよくマクドナルドに行く。単純にマックのポテトが好きなのだが、長居するのにちょうど良いのだ。いや、人によって長居できる場所は違うのだろうが、私の場合はマクドナルドが1番だということが分かった。長居というとファミレスやカフェが思い浮かぶだろう。そういった場所でも良いのは確かだ。実際、この記事もベローチェで書いている。ただ長居すると決めた時は必ずマクドナルドに行く。ひとまず、これは今日の本題ではないのでこのあたりにしておこう。

 

席に座っていると、向かいの方の席に少年がやってきた。

少年は小学校の45年生くらいだろう。祖母と思われる人物と2人で来ていた。お昼時だから、まぁご飯を食べに来たのだろう。もちろん客は私以外にもたくさんいる。向こう側の初老の男性はヘッドホンで何か聞いているし、隣の方にいる女子高生2人組はひたすら学校の男子について語っている。どうも片方の女の子は最近、彼氏ができたらしい。もう片方の女の子はそれを祝福しつつ、自分の学校にはカッコいい男子がいないと嘆いている。なるほど、ここまであからさまに顔で判断する子を見るのも珍しいので、良いものを見た気分だ。この女子高生たちも本題ではない。先に進もう。少年に注目した理由である。

 

その少年は青いワンピースを着ていた。

最初は私の勘違いなのかと思った。一見して髪の長さや顔立ちから男の子だと思ったが、女の子なのかもしれない。そんなことはよくある。しかし一緒にいる祖母はその子を明らかに男の子の名前で呼ぶ。「あおい」「ゆう」くらいなら両性で使われるのでやはり勘違いかと思えたが、祖母が呼ぶ名は「たろう」や「しんじ」くらいに男の子寄りの名前だ。そして、その子の話し声を聞いてもやはり男の子だ。これでも小学校の教員をほどほどやっているので、子供の声はよく聞いている。子供でも男の子と女の子はだいぶ違う。向かいにいるのは、ほぼ間違いなく「少年」だ。

 

少年は青いワンピースを着ている。

少年がワンピースを着ているのは全く問題はないが、珍しくはある。ちょうど膝丈くらいのスカートで短い半袖になっている。夏場にちょうどよい感じで、クラスのでも似たようなデザインを着ているのを見たことがある。運動しづらそうな格好ではあったが、学校外では何も問題ない。むしろこういうプライベートな時にこそ思いっきり着て楽しむ服装だろう。

 

なぜ少年はワンピースを着ていたのか。

繰り返しになるがワンピースを着ていることは全く問題ない。ただ今の世の中でかなりの少数派にはなる。ところで現代において女子がメンズの服を着ていても何ら違和感は無いが、男子がレディースの服、特にスカートを履いているとかなり違和感をもたれる。それは変だよなぁといつも思っていた。例えば和服は基本的にスカートと同じ構造なのだから、男子がスカート構造の服を履くのは全く変ではないはずなのに、メンズにはスカートが全然現れない。以前、そういうメンズスカートを作っているデザイナーのニュースを見たが、先進的な取り組みのように取り上げられていたので、非常に違和感を覚えた。まぁわかるけどね。とにかくメンズスカートが一般化しないのは、アパレル業界の怠慢な気がしてならない。吉野も思考停止で履けるようなスカートをユニクロは売りだせ。

やや熱くなったが、現在の状況だと少年がワンピースを着るのは、わりと高いハードルのように思える。いずれにしろ目の前にいる少年はそのハードルを何らかの理由で飛び越える、あるいはくぐったのだろう。が、少年からしてみれば容易かったかもしれない。

 

実は吉野もハードルを跳んだことがある。

少し昔話をしよう。私は小学校入学した際に赤いランドセルを背負っていった。今でこそランドセルの色は、様々なものがある。人気の色は水色だろうか。ピンク、紫、茶色、紺などバリエーションが豊富で良いことだ。ところが私の頃といえば、基本的に赤か黒しかなかった。そして赤は女子、黒が男子というのが暗黙の了解であった。しかし当時の私は、ご多分漏れずレンジャーものにハマっており、リーダーカラーである赤に強く惹かれていた。そのためランドセルも赤と黒ならば、当然選ぶべきは赤以外にありえなかった。この話を学年主任にしたら、「吉野さんって、小さい頃から先進的に生きてるんだね」と笑われた。怪しいところではあるが、褒め言葉として受け取っておく。

 

社会に出て初めて世の中の「常識」と出会う。

赤いランドセルを背負った私はご機嫌そのものである。入学祝いの写真や入学式の写真でも赤いランドセルを背負っているが、実によく似合っている。幼い頃は母親の顔立ちのほうが強く出ており、自分で改めて見ても可愛いなと思う。今でも鏡を見ると母親の顔立ちの名残は感じるが、当時ほどの可愛らしさは消え失せている。残念極まる。さて当時において残念だったのが、いくら可愛くて似合っているといっても、社会の常識を吹き飛ばすほどではなかったことだ。「男子は黒のランドセルを背負う」というのがスタンダードな世の中で、私は未来を生きすぎていた。そのため全校から注目を浴びることになる。周りから奇異な視線で見られたし、心無い言葉をかけてくる子もいた。そのせいで私は1日登校しぶりをしたが、その間に母親が担任に連絡をとってくれたおかげで、以降は特に周りから何か言われることは無くなった。

 

それでも2年生からは黒いランドセルを背負う。

当時、言語化はできていなかったが、直感的に「周りと違う行動をするとからかわれるし、からかわれるのは嫌だ」というのを学んだ。そもそもにして周りを見ることができなかったあたりに自閉傾向を感じるが、まぁご愛嬌だ。1年生ならばそんなものだろう。とにもかくにも周りから何も言われたくなかった私は黒いランドセルを背負うことにした。確か赤いランドセルは両親が用意してくれたもので、黒い方は伯父や伯母がプレゼントしてくれたのだ。入学の時から黒いランドセルがあることは知っていたので、そちらに切り替えることにした。とりあえず2年、3年と黒いランドセルを背負う。

 

自我が芽生え天啓が来たのは4年生になった時である。

私が3年生を終えた時、3つ年上の姉は小学校を卒業した。図らずも私の目の前に持ち主を失った赤いランドセルが現れた。それを見た私は、少し考え直す。そして4年生に進級する時、私はもう一度赤いランドセルに切り替えた。因みにこの赤のランドセルは姉が使っていた物である。なので、私は小学校の間に3個のランドセルを背負ったことになる。なかなか贅沢な話だ。1年の頃に背負っていたランドセルは物置に大切に保管されていたが、何となく姉が使っていた物を使いたかった。「普通は6年でお役御免になる物を9年間使ったら面白いな」とか思っていた気がする。

さて4年生になって切り替えられた理由はいくつかある。1つ目が自分が強くなったことだ。赤のランドセルを背負ったら周りから何か言われることは理解していた。しかし4年生であるため、1〜3年は問題ではない。何か言われるようなら立場でねじ伏せることができる。そして4年以上に関しても論理で負けないと確信を得ていた。「赤は女子の色」と言われれば「そういうきまりや法律でもあるんですか?」と返すことができた。今見ると、ちょっとひろゆきっぽい。むしろ「常識に囚われている」「頭が固い」と煽り散らしていた覚えもある。そんなことを繰り返しているうちに、私にランドセルの色で何かいう子はいなくなった。

 

赤のランドセルに切り替えた一つの理由が、今回の本題と関わってくる。

ランドセルを赤に戻した最大の理由は、黒のランドセルを背負っている自分に対して、「これは自分ではない」と強く感じたからだ。2、3年生は平穏に過ごしたし、黒いランドセルを背負うことにも慣れていた。しかし赤と黒を並べたら、選ぶのは何回やっても赤の方だっただろう。黒を背負うことには違和感を覚えていた。その違和感を残したままにしたくなかった。万が一ダメでも、また黒にすればいいやという考えもあり、赤に戻したのだ。「自分」を取り戻すために。当時の状況を言語化するならば、赤いランドセルは私のアイデンティティと大きく関わっていたのだ。そのため、それを曲げることに強烈な違和感を覚えていた。

 

青いワンピースの少年よ、君の「自分」は何だろう。

翻って、ワンピースの少年の話である。少年のワンピース姿も彼のアイデンティティと関わっているのかもしれない。だからこそ、私は彼の姿は何ら問題ないと確信をもって言える。社会に反しない限り、自分を捻じ曲げてはいけない。常識や一般性は自分を曲げる理由にはならない。だからこそ着たい物をこれからも着るといい。

その上でただ一つ、君に言いたいことがあるとしたら、君はたぶん黄色の方が似合う。