シン・教員の姿

英語の講師が来たよ

吉野の勤務校では、2学期の半ばくらいに英語の外部講師が来た。

どうも県の事業の一環らしいが、巷の噂ではオリパラの関係の予算を使いたいがための 事業なのではないかと言われている。

でもオリパラはとうの昔に終わっているし、真偽は不明である。

 

とにかく外部講師が来てくれるので、我々としても疑問に思いつつ、歓迎していた。

話を聞く限りではT1で授業をやってくれるようなので、よくあるALTの派遣会社とかの先生が来るのだと思っていた。

 

ところが蓋を開けてみると、来たのは全く別業種の人。

教員免許は持っていないし、当然教壇に立ったことも無い完全な初心者。

T1扱いでいいって指示は来ているけど…え?

 

授業の様子

でもとりあえず来てくれたので、授業の打ち合わせを行う。

講師の先生も研修などがあったようだが、もちろん自分が素人なのは知っているので、なかなかの緊張気味。

今回の事業では2単元分を担当してもらうことになっている。

とりあえず、こんな感じで行きましょうと方針を立てて授業に臨んでもらう。

なんだか教育実習生を相手にしているような気分だ。

 

そんなこんなで実際に授業が始まる。

先述の通り、T1で、要は専科と同じ扱いになるので、担任は一緒にいる必要は無い。

しかしこの状況で抜けるわけにもいかないので、結局授業には一緒に入る。

 

授業はなかなか上手くいかない。

説明が長い。

指示が通りにくい。

子供が乗り切れない。

 

担任もサポートを入れながら進めていく。

時にこうやると良いですよーとアドバイスもしたりする。

それでもビミョーなテンポ感で進んだりするが、まぁそれはそうだ。

経験が少ないのだから。

 

なぜうまくない?

これはそんなに難しい話でもなく、授業技術が低いからだ。

授業は「教える内容」と「伝える技術」の2つで成り立つ。

 

教員、特にベテランになればなるほど、「伝える技術」が高くなる。

同僚に家庭科専科になった人がいるが、その人曰く「家庭科は今まで教えたことが無い」と言っていた。

でも授業は普通に成立するし、なんならそこら辺の専科の人より上手い。

「教える内容」に精通しているわけではなかったが、「伝える技術」が圧倒的に高いので、質の高い授業になっていたのだ。

 

教員なんて誰でもできるやろ

世の中のテキトーな言説の中に、「小学校の教員なんて誰でもできるやろ」「小学校の内容なんか誰でも教えられる」というものがある。

これに対して、俺は半分正解で、半分不正解だと思っている。

 

小学校の内容は確かに難しくない。

それを教える、つまり内容を伝えるだけなら、全く難しくない。

問題はそれを適切な方法で伝えられるか、ということだ。

 

前述の通り、授業は「教える内容」と「伝える技術」の2つで成り立つ。

教師は明らかに後者の能力が求められる。

 

特に対象の年齢が小さくなればなるほど、この技術の要求度は高まってくる。

まぁそれも想像すれば分かるよね。

だからこの考えで行くと、小学校以上に幼保の先生の方が「伝える技術」は高い。

ちなみに真逆が大学の先生になるわけだけど、大学の先生は「内容」をそのまま伝えるのが目的だから、あれでいいと思っている。

 

シン・教員

教職じゃなくても「伝える技術」が高い人はいっぱいいる。

世の中にも「伝える技術」の本はたくさん出ている。

そういう人は多分、教えるのが上手い。

教える専門家である教師より、「伝える技術」が高い人はゴマンといる。

 

でも今の時代の教員に求められるのは、最早そこではない。

一番大切な技術は「子供を学ばせる」技術。

 

そもそも人に教える技術を高めるのは、そんなに難しくない。

なぜなら自分の行動を変化させればできるから。

自分の行動を振り返り、自分で考えて、自分で変化させる。

全て自分のコントロール下にある。

 

ところが学ばせるのは難しい。

これは相手の行動や変容が主体になるから。

自分が何か手を加えても、それで行動するか変化するかは相手次第。

どれだけ苦労しても、決定権は自分に無い。

 

教えるのは誰でもできる。

いかに学ばせられるかが教員の資質になる。

そう考えると「教員なんて誰でもできる」なんて、おいそれと言えなくなるよね

 

おまけ

3学期の初めに2単元分の学習が終わり、件の英語講師の授業が終わった。

最後の方は授業も上手くなっていたし、色々な試行錯誤もしてくれたので、子供も満足していた様子であった。

 

でも、子供の満足感の背景には、英語講師の方の真摯な態度が見られたからだと思う。

教えることも学ばせることも技術は必要だけど、その土台となる人間性が教育にはやっぱり大事なのを思わされた体験だった。