研究授業をする…?

若手と研究授業

先日、自治体の研究会の集まりがあった。

いわゆる小教研やら市教研と呼ばれる類のもので、それぞれの部会に分かれて打ち合わせを行う。

この日は部会に来た人の顔合わせから役員決めをしたり、1年間の計画を立てたりする。

部長を誰がやるのかとか、研究授業を誰がやるのかなど、色々と決めることが多い。

ウチの部会は研究授業者がちょっとやや混迷したが、まぁ決めることができた。

 

さて第1回の集まりは全ての部会が同じ学校で打ち合わせを行うので、帰りには他の部会に行っていた若手たちと出会った。

そこで若手たちに「何月?」と、煽り気味に訊ねてみた。

これは「君は研究授業を何月にやるんだ?」という意味だ。

 

研究授業を引き受けるかどうかは、特別な理由が無い限りは任意だ。

だからその人が手を挙げなければ、基本的には研究授業は回ってこない。

吉野は昨年度、自治体の事業と混ぜられて、授業日まで決定した状態で研究授業が回ってくる経験をしたが、そんなのは極めて稀だ。

それなら寧ろ、授業者が決まらないために押し付けられるくらいの方がよくある事態である。

 

そんなわけで「何月?」と聞いてみたわけだが、なんと聞いた全員から「○月です!」と返答が来た。

その場には3、4人の若手がいたが、みんな研究授業を引き受けていた。

後日、校内の他の若手にも聞いてみたが、みんな研究授業をすることになっていた。

なんだこれ。

 

若手の意識は?

あまりにも全員が研究授業を引き受けているので、翌日の職員室では少し話題になっていたが、研究授業を引き受けた意識などについては触れることは無かった。

しかしこれだけ全員が引き受けてくるんだから、何かしら感じるものはあるのだろう。

校内の雰囲気とか。

 

かく言う、吉野が所属している部会にもウチの学校の若手の子がいた。

その子は、打ち合わせの場では手を挙げなかったのだが、後からやっぱり研究授業を引き受けたいと話したので、任せることにした。

本人としても悩んでいたようで、「引き受けるなら今だよな…」と話していた。

 

研究授業は任意だから、引き受けない方が当然楽だ。

Twitterでもよく研究授業は槍玉にあげられている。

現在の業界の状況を考えれば、仕方がないとは思う。

でも若手はみんな引き受けてきた。

 

下地

若手が授業を引き受けてきたのは、まぁ偶然で片づけてもいいとは思う。

でも理由を改めて考えてみても、それは面白そうだ。

ざっと考えると3つほどありそう。

学校の風潮・雰囲気

1つ目の理由はざっくりと学校、とりわけ職員の雰囲気だと思う。

ウチの自治体は規模が小さいからか、部会の人数も小規模になる。

そのため若手だから授業をなどとは言っておられず、若手からベテランまで何となく研究授業をやることが多い。

あとウチの学校で言えば、都道府県の研究会に所属している人もいるので、その関係で研究授業をしている人もいる。

 

だから全体として「研究授業をすること」へのハードルが低い。

あと研究授業といえば、その後の打ち上げなどもある。

若手は若手研修の関係で年に何回か授業をしているが、その打ち上げも似たような感じで行われている。

ようは普通の研究授業も若手研も同じレベルで見てくれている。

だから、とにかく「まぁなんかちょっとしっかり授業する機会はあるよね」という感覚になっている。

 

周りのサポートとか

研究授業の時には事前授業のために、同じ学年の他のクラスを借りたりする。

部会の研究授業は、いわば個人で引き受けてくるものだから、本来その学年には関係は無い。

だから結構ガッチリした部会だと、他の学校に行って事前授業したりしている。

 

ただウチの学校の場合は比較的学年で協力をしてくれる。

クラスを借りることもよくあるし、学年内の事務負担を軽くしてくれることもある。

だから研究授業を引き受けても、自分の業務が著しく増えることは無い。

寧ろ研究授業の分も含めて、学年の仕事という割り振りになる。

 

労働量

研究授業がTwitterで槍玉にあげられる一番の原因は労働過多な現在の状況に、さらに追加されることになるからだ。

ところが2つ目の最後にも上げたように、研究授業を引き受けるとその分は学年の仕事カウントされるので全体として仕事量はそこまで大幅に増えない。

なんなら事務仕事に関しては他の人が、「研究授業で忙しいよね」と吸い上げてくれることまである。

そしてそもそもにしてウチの学校の事務量が日常的にそこまで多くないからだ。

 

教材研究は大変だし、時間もかかる。でも自分で選んだ内容であったり、自分でやりたいことであったりするならば、正直メンタル的な負担は少ない。

もちろん授業を考える中で悩んで、困って、しんどい時はあるが、それは教員としての本懐とも言える。

教材研究なら、この仕事はあまり辛くない

 

有意なバタフライ・エフェクト

今回の場合の研究授業は、自分で引き受ける分、個人の研鑽や真の意味での授業研究の意味合いが強い。

だから個人的には、この研究授業は教員にとって結構良いものなんじゃないかと思っている。

 

でもその研究授業を引き受けられるかどうかは、どうも授業以外の部分に依存しているように思えた。

若手が研究授業を引き受ければ、授業力が上がる。

授業力が上がれば、子供の満足度は上がるし、落ち着く。

巡り巡って全ては子供のために返ってくるはずだ。

やっぱり環境を整えないとダメだよね。

 

余談

今回は若手の話をしていたが、吉野も研究授業を引き受けた。

まぁ毎年やっているから、ある種の習慣みたいなものだが…

今回は同じ部会の若手が授業しやすい日程に調整した関係で、吉野の授業日程は行事直前の一番ハードなものになったし、なんなら吉野は部会の代表までやっている。

だから今回は代表+研究授業×ハード日程と三重苦になっている。

 

そんなわけで職員室内で、「若手たちが研究授業を引き受けていて偉いねー」と話題になっていたので、こっそりと「俺も、代表+研究授業×ハード日程なんすよ~」と混ぜてみたら、「まぁ吉野さんは、そんなもんだよね~」と軽く流された。悲しみ。