根無し草の器用貧乏

吉野には専門性が無い。

 

これまで情報関係に偏っていた関係で、専門と言える教科がない。情報教育が専門なのでは、と言われることもあるが、俺は情報教育はどこまで行っても専門足り得ないと考えている。

なぜなら小学校には「情報」という教科が無いからだ。

 

学校には色々な教育活動がある。

人権教育、性教育、キャリア教育、プログラミング教育…この中だと俺はプログラミング教育に関しては他の教員より詳しい方だが、やはり専門性があるかと言えば疑問が残る。

 

専門性は教科教育に根付いている。

昔、尊敬する副校長に言われた言葉の1つだ。当時から俺は情報関係に強く、いわゆるICTを使った実践を積み重ねていた。その時に副校長から言われたのが

「『情報』『ICT』はどこまで行っても「ツール」なんだよね。だから、どこかの教科を専門にすると良いよ」

 

当時からこの考えは納得できるものであったので、自分の中にスッと落ちてきた。その副校長自身も情報関係に明るい方であったが、社会科を専門としていた。

 

この言葉を聞いて以来、自分は何を専門にしたいのか何年間も考えてきた。大学の頃からの流れでやはり国語かなと考えつつ、結論は出ていない。

その中でひとまず得意な情報関係をズルズルと続けてきてしまった。ズルズルとは言ったが、まあ悪いとは思っていない。

 

そして現在、GIGAスクール構想が早まり、情報端末の活用が叫ばれ、その第一線にいるからこそ痛感するものがある。

俺には教科の専門性がない。

 

GIGAスクールにおける一人一台端末の活用は究極のツール論だ。

今までの感覚で言うなら、チョークや黒板、ノート指導に類するものだ。これ自体を専門としても、授業に深まりを出すことは難しい。

黒板に関しては、構造的板書の本などは増えているが、あれも根本的な教材研究がしっかりとなされているからできることだ。児童の思考を深めるためには、結局教材研究がベースとなる。

 

端末活用において、俺はかなり先頭の方にいる。

新しい活用を試みたり、実践報告をしたり、他の教員にアドバイスをしたり、研鑽を重ねている。

 

しかし最近になって、行き詰まりを感じ始めた。

理由は簡単だ。教科の深まりがある活用法をできていないからだ。子どもたちは、こちらが望むスキルを概ね身につけた。今まではスキルを身につけさせ、新しいことをし続けてきたが、それがある程度完了したのだ。ここから学習に深まりを出すには、教材を深く理解し、ツールをもって伸長させる必要がある。

 

俺には、その根本的な教材研究の素地や専門性がない。

今まで悩みつつも騙し騙し進めてきたが、いよいよ壁が出てきたようだ。ツールを研究を続けた中で、教材研究の壁に当たることは、予想されていたことではあるが、なかなかに皮肉なものだ。

 

多分、国語に足を置くのだろう。自分の生来の性質を考えれば、国語が収まりがいい。何から始めるか。