先日、はてなブログで面白い記事を見付けた。
さらに元になった記事はこれだ。
「はてなーは…」の記事でも書かれているが、「僕は異常だ」のほうを読んだ時、俺としても「あー、この人は自閉傾向があるんだろうなー」と思った。
俺自身も自閉傾向があり、なんだか身に覚えがあることが多い内容だった。
今回気になったのは、「俺は異常だ」の増田さんは多分、自閉ってことを自分で気が付いていないことだ。
そしてコメントを付けている人も、それに気が付いていない。
ADHDより分かりにくい自閉
近頃、発達障害に関する社会の認識が進んできたように思える。
「大人の発達障害」の本も出ているし、「アスペ」なんて言葉も(悪口ではあるが)しばしば使われている。
その筆頭がADHDなわけだけど、なんでADHDがよく出てくるかといえば、発達障害の中で一番わかりやすく症状が出るからだ。
整頓ができないとか、ケアレスミスが多いとか、大人になってからも困り感がちゃんと出てくる。
ところが、アスペルガーに代表される自閉症スペクトラムは、症状が外に出にくいので周りに認知されにくい。
俺は経験上、話していたりして「あ、この人は自閉傾向があるな」と分かるが、多分普通の人だったら「この人、ちょっと変わってるなー」くらいにしか思われないだろう。
だから普通の人に「ADHDってどんな人だと思う?」って聞いたら、何となく答えが返ってくるけど、「自閉傾向がある人ってどんな人だと思う?」と聞いたら、悩む人が多い気がする。
世間の認知度って、それくらいなんじゃないかな。
擬態する自閉
発達障害に対する世間の認識が、どの程度かはイマイチ分かっていないけど、なんだか「ずっと変わらない障害」のように思われている気がする。
確かに脳の機能的なところもあるから、基本的な傾向性は大人になっても変わらない。
でも発達障害の人だって大人になれば、ちゃんと社会に「適応・順応」していく。
で、自閉の人って基本的に社会性に困難さあるんだけど、別に社会から切り離されて生きたいわけではないから、社会に合わせようと自分なりに工夫していくわけだ。
増田さんも「中二病じゃん!」というコメント対して
中二病とかは、「俺は他の人と違うことがアイデンティティ」とか「そういうのがかっこいい!」みたいな考え方だと思うのだけど、そういうのは小学生で克服した。
そうではなくて、僕は「人に合わせるように努力してる」。
と、言っている。
これも世間から、自閉が見えにくくなる特徴の一つなんだよね。
ADHDの困難さは、割と外面に出ることが多い。
だから、ライフハックも「付箋をつかう」とか「手にメモする」とか、外側に見えるものが多い。「薬を飲んで特性を抑える」なんていうのも、見えやすいという意味では、そこに含まれる。
自閉の人の困難さは、内面に出ることが多いから、ライフハックも内側にでる。
具体的には、「この人の話はジョークか分からなかったけど、隣の人が笑っているからジョークらしい。笑おう」とか「今の話し方だとこの人は難しそうな顔をしているから、今のは怒らせる話し方だったらしい」みたいなケーススタディを溜めていく感じになる。
で、溜めたスタディを、他のケースに転用していく。
そんなことを続けていると、何が起きるかというと、「自分の感覚とは違うけど、社会的にはどうやって振る舞うべきか分かる」人間ができあがる。
素敵な社会人の出来上がりだ。
現に増田さんも
例えば、上に出した食べ物の話で言うと「外でうまいもの食べに行こうか?いつもコンビニだし」と言われたら、「いいですね!いきましょう!」って答えるようにしてる。本心としては、両者に差はないので距離差からコンビニのほうがにいいし、うまいものを食べたいなんていう感覚はないから、「外でうまいもの食べに行きたい」なんて絶対に同意できないけど、こういうことを言う時はその人は「外で食べたい」と考えているだろうと推測してそう応えてる。みんなそうするから
ちゃんと社会的には正しい振る舞いができている。
なので、大人になると自閉の人は、それなりの振る舞いができてしまうので、発達障害に気が付かれにくいわけだ。
普通との違い
上の話を見ていると、「それって普通の人もそうじゃない?」と言われそう。
確かに普通の人もケースを溜めていって、それを転用しているところは一緒だと思う。
大きく違うのは、「自分の感覚とは違うけど」の部分。
自閉の特徴の一つに、共感能力の低さがある。
普通の人は、小さい時から集団で遊んだりする中で、周囲と感情を共有する経験を積んでいく。
そういう経験から、「相手が嫌な気持ちになるから、この行動はやめよう」とか「この事象に対しては、こういう感情を抱くだろうな」という了解や共通認識ができるようになる。
これが世の中でいう「常識」になってくる。
ところが共感能力が低いと、これが上手く積みあがらない。
なので、相手との了解や共通認識ができない。
じゃあどうするかといえば、感覚で理解ができないから知識として獲得するしかない。
増田さんの就活なんて、分かりやすい例だよね。
僕には「仲間と努力していると、コミュニケーション力抜群になる」とか「サッカー経験があれば、仲間と努力できる」という公理が理解できなかった。他の職業についても同じような疑問が出て、ディスカッション中は「???」しか頭になかった。こんな風に、皆がそう思っていることが、僕にはそう思えず、常識についていけないことがよくある。
世界は常識が幅を利かせているから、僕も常識についての知識を集めているし、常識的な行動を予想し実践している。これが僕の「常識」だ。
つまり普通の人は、感情(感覚)をもとにケースを溜められるけど、自閉傾向の人は知識として溜めることになる。
だから自閉の人は感情を共有できない分、同じ振る舞いをしていも、「なんか変だなあ…」という気持ちを抱えたままになる。
この「なんか変だなぁ…」を嫌な感覚としてとらえるか、どうでもよい感覚としてとらえるかは、個人によるわけだけど。
アイ アム ア 自閉
増田さんのいら立ちの根底には、「自分は周りとは少し違うんだけど、それを周りが理解してくれない」という気持ちがあると思う。
上記の「なんか変だなぁ…」を嫌な感覚として捉え、さらに自分がそう考える根本的な理由が分からないことへのもどかしさ。
これの解決方法は簡単で、「増田さんは自閉傾向が普通の人より強いと認識する」で済む。
実は俺自身は増田さんの人生と重なるところが割とある。
大学くらいまでは似たような人生だと思う。
増田さんと違うのは、仕事柄、自分も同僚も発達障害への認識が高かったことだ。
俺自身は社会人になるまで、自分に自閉傾向があるなんて考えなかった。
ある日、いつものように上司と雑談をしていた。
俺は本が整理されていると落ち着くとか、ポスターが曲がっていると気になるとか、そんなどうでもいい話をしていたら、上司から
「とおる君、それ自閉だよ」
と言われたのだ。
その瞬間、今までの人生を振り返って、とても納得したのを覚えている。
今までの人生で、ちょっとみんなと違うなーと思っていたことの答えが、パッと分かったのだ。
そうなると後は簡単で、周りの人と認知の仕方が少し違うのも理解できたし、自分が適応する方法も分かった。
自閉傾向が少し強いというのが、自分の個性として受け入れやすくなったわけだ。
増田さんは結局、自分が何者なのかというので悩んでいるように思える。
みにくいアヒルの子で「自分はアヒルの中で、どうして姿が醜いのだろう?」と悩んでいるが、最初から「君は白鳥だから、周りと違うんだよ」と言ってあげれば解決するのと一緒だ。
早く、自分をそう認識したほうがいい。
結局、今回の話は中二病だの、幼いだの言われていたけど、自閉じゃね?の一言で終わる話だったんだよね。
俺自身は困っていないし、世間の認知度が上がれってほしいとかも思わないけど、そういう人がいるっていうのを知っておくのは大事だなと思った。