若手との違いを感じて初めて自分が中堅になったことを自覚する

運動会のメイン指導者は?

うちの学校では、今年ミニ運動会を行うことになった。

運動会といえば普段は全校で行うが、縮小したので今年は学年ごとに発表をする。

各学年1時間の持ち時間の中で表現(ダンス)と徒競走をする。

 

ミニ運動会は11月に行われる。

本当の運動会であったら、10月の半ばくらいに実施されるのだが、

各学年1時間使ってしまうと、午前中にすべての学年が終えることができない。

土曜授業の時間割だと間に合わないからね。

そのため4・5・6年と1・2・3年に分けて、2回の開催となった。

そんなわけで3年生はぼちぼち練習をしている時期なのだ。

 

うちの学年は、主任と私と後輩の3クラス編成になっている。

今回の運動会の計画と指導は、基本的に後輩が行うことになった。

先週くらいから練習が始まったが、指導の様子を見ていると、なかなか上手く行っているとは言い難い。

もちろんある程度ちゃんとできているのだが、時間に対して練習の効率が良くない。

そしてなぜか私にマイクが回されることが多い。

 

後輩が困ったりしたタイミングで、こちらがマイクをとり、子供へ指示を出す。

後輩の指示と一貫性をもたせつつ、話をするので内心ではもどかしさがある。

そんなもどかしさを抱えながら過ごしていたが、先日の練習ではいよいよ殆どの時間、私がマイクを持つことになった。

 

なぜこのような事態になっているのか。理由は明確だ。

指導の想定が杜撰なのだ。

ダンスの動きの細部や隊形移動の時の動線など、細かい部分の計画を練られていない。

大枠の相談は学年で行ったが、そこから先の指導が想定されていない。

だから指導がぼんやりとして、効率が悪い。

どうも後輩にとって、大枠で決めた以上の想定はしない(できない)ようだ。

 

私の「後輩」のイメージ

この想定の甘さというのは、私の中で意外であった。

なぜできないのかが疑問でもあった。

結論から言えば、後輩の経験が少ないからということになる。若さ故の未熟さである。

 

しかし私の中で未熟というのは、1、2年目程度の人のことで、今の後輩くらいの年数であれば、もう少しできるだろうと思い込んでいた。

 

というのも前任校での後輩たちが非常に優秀な人物だったからだ。

3年目の頃には自分と並ぶくらいに指導力があった。

だから私の中での後輩のイメージは「3年目くらいになると、こちらも概ね満足できる程度の指導力がつき、なんなら自分より優れた点が多分にある存在」になっていた。

 

でも若い人はやはり若いものだ

既にお分かりの通り、私の後輩に対するイメージは世間一般より遥かに優秀なイメージである。

当時の私の観測範囲内にそのような後輩ばかりであったのが、嬉しい問題であったわけだ。

 

現任校になり後輩たちを見ていると、そのイメージとは少し違っている。

指導の様子を見ていると甘さが目立つ面がある。先の運動会指導もその一つだ。

 

その話を同期にしてみたところ、「若い人だとそんなもんじゃない?」とのことであった。

同期の前の学校には、今の学校のように若い人が多かったらしい。

その経験から言うと、今の状態はそんなに不思議ではないようだ。

やはり私の認識のほうが誤っているのだろう。

 

私はどうやって成長したか

後輩の話をしてきたが、省みると自分がどうだったのであろう。

私が3年目の頃は、今の後輩と同じような感じであっただろうか。

おそらく半分は正解で、半分は不正解だ。

 

例えば運動会の指導に関して、指導の未熟さはあっただろう。

しかし現状と同じような問題は抱えていなかった。

なぜなら私は自分の未熟さを、膨大な時間をかけることでカバーしていたからだ。

 

私の3、4年目の頃というのは、最も退勤時間の遅かった時期だ。

自分がやりたいことがたくさんあり、それを実現するために湯水のように時間を使った。

褒められた方法では無い。ただ当時の実践を今また磨き上げて再現しているので、自分の財産にはなっている。

 

今の後輩の様子を見ていると、あまり時間をかけているところは見られない。

みんな、わりとスマートに仕事をこなしている感じがする。

 

時間と密度と意識の高さ

時間が長ければ成長できるかといえば、そんなことない。

ツイッターなどで、そんなことを言えば大いに叩かれるだろう。むしろ試したいくらいだ。

 

成長には経験値が必要だ。

経験値の簡単な算出方法はこんな感じだろう

経験値 = 学習密度 ✕ 時間

 

私は自分が成長するために膨大な時間をかけることで経験値を得ていた。それが長時間労働につながっていたわけで、昨今の情勢から言えば、学習密度を上げるべきなのだろう。

 

では学習密度を上げるにはどうしたら良いだろうか。

様々な方法があるが、一つだけ共通しているのは、自分の学習への感度を上げる必要があるということだ。

つまり自分が学びへの意識を高くもたなくてはいけない。

 

これもやはりネット界隈にいる人には至上の命題のようで、非常に学習への意識が高い人が多い。

しかし万人にそれを求めるのはどうだろうか。

 

日々、それだけの感度を保つことができるだろうか。

私に関してはNoだ。そんな状態では疲れてしまう。

だからこそ私は安易な時間をかける方法を選んだのだろう。

 

時間と成長線

経験値は学習密度と時間の乗算で出せるだろうと言ったが、私は学習密度は定数に近い変数ではないかと思っている。

もちろん学ぶ意識を高くもてば、ぐぐっと上がる変数ではあるが、平常時では定数的であるように思う。

 

となれば、やはり成長するにはある程度の時間が必要になるだろう。

時間をかければある程度の成長はできる。

 

成長するためには、時間をかければ良いわけではないが、時間をかけなければいけないところもあるだろう。

そして後輩たちは、それだけの時間をかけているだろうか。私には疑問に思える。