指導案を作る

先日、管理職の授業観察があったので、指導案を作った。

授業観察の時にはいつも指導案を作っている。

今回は異動初の観察だったので多少緊張していたこともあり、少し細かく作った。

 

指導案とは言ったが、正確には略案である。

めあてと本時の流れだけが書いてある、ごくごく簡単なものだ。

 

授業観察や公開の時には、この略案をよく作る。普段の授業でも時折作ることがある。

自分の感覚としては、とても力を入れるほどではないが、いつもよりしっかりやりたい授業の時や少し緊張する授業の時に作成をしている。

つまり「あまり外したくない授業」の時だ。

 

とはいえ、最近はこの略案もあまり作っていない。

一番多く作っていたのは、2,3年前の頃だ。あの頃は熱心に色々な授業を試していた。

教材開発のための実践もたくさんやっていた頃なので、自然と増えていった。

 

略案を作っておくと便利なことがある。

前述の通り、この略案を作る時は自分の中で「外したくない授業」の時なので、逆を言えば何か特別なことをしている時に作っていることが多い。

そのため自分の珍妙な実践の宝庫になっているのだ。

 

少し紹介してみよう。

光村の国語の教科書には季節の教材がある。「春の言葉」とかそんな感じの単元だ。

 

私はこの教材をどう扱ったらよいか、いつも悩んでいた。

指導書に授業の流れが書いてあるものの、その通りに行っても上手くいく気がしない。

今の自分ならば、指導書の流れ通りでもある程度はできるだろう。しかし多分ある程度だ。

 

悩んだ私が出した結論は、この単元では俳句を作ることにした。

季節の言葉を使って、なおかつ言語活動ができるものといったら俳句だ。以来、私はこの教材では俳句を作っている。

 

そして季節教材ということは、4回は似たような授業ができる。

そこでこの教材群を帯単元として設定することにした。

年間で4回も俳句を作ると年度末にはそれなりの作品になるから面白い。

 

こういった記録が略案として残っているのだ。

たまに見返すと自分でも忘れていた面白い実践もしている。

あと同僚に資料としてすぐに実践内容を紹介できるから便利でもある。

 

略案はほどほど作るが、しっかりした指導案を作ったのは昨年の研究授業が最後だ。

校内研究なので学年で作成した。自分だけでしっかりとして指導案を作ったのは、もう記憶にも残っていない。

 

Twitterを覗いていると指導案の話はたまに出てくる。

時間ばかりがかかって無駄だという話題が多い。

その分の時間を、内容を充実させることに使うべきという意見もある。

 

確かに指導案の作成にはある程度時間がかかる。

作成の最中に様々な手が入り、内容が変わる時もしばしばある。

しかし私はそれが無駄だと思わない。

 

指導案には書く内容に無駄は無い。

指導上、必要なこと以外は書かないからだ。

指導案の作成だけで考えるなら、確かに時間がかかり、無駄に思える。

しかし指導案を作成している時というのは、授業を練り上げている時間でもある。

むしろ授業を練り上げている時間があるのに、それが指導案に反映されない方がおかしいのだ。

 

指導案を作るには、授業を練り上げる。

授業を練り上げたなら、指導案が修正される。

指導案作りとはそういう物ではないか。