最近、ゲームについてずいぶんと話題になっている。
私がこの話を最初に見た時、香川県はずいぶんと変なことをしているなと思った。
というのも、ゲームというのは基本的に家庭の問題で、行政が口を出すことではないだろうと。
私のように考える人は大勢いるようで、ツイッターなどでは批判の嵐である。
大人には理解不能でも子どもの夢はこれ。この世界が将来伸びるのも確実。香川県議会で検討されている「ネット・ゲーム依存症対策条例」は香川県の子どもから未来を奪う。
— 永山久徳 (@h_nagayama) 2020年1月23日
奪っておいて「日本がITで世界に勝てないのは子どもの学力低下が原因」とかいう大人がいたら、その人こそが日本衰退の元凶だ。 pic.twitter.com/LyFvJ6cV3m
この件に関しては、皆さん色々な考えがあるようで、ゲーム好きの私としても気になることがいくつかあった。
下の記事がやたらと批判を受けていたので、これに沿いながら考えていきたい。
「ゲーム」とは
ゲームと一口に言っても、私が一番ハマっていた頃と今とではだいぶ内容が違う。
私が一番やっていた頃はRPGが全盛期とも言える頃で、友達と進行度とかやりこみ度を競いながらやっていた。
ところが、今のゲームと言えばオンラインを主体としたアクションが多い。ネットワークを最大限使おうと思うと、このジャンルのゲームが増えていくのは自然なことだと思う。
今回の件とは関係ないが、今の子はRPGをやっているのか疑問に思ったので、ツイッターでアンケートをしてみた。が、フォロワーが少ないので検証にならなかった。無念。
【調査】RPGが現在どれくらい普及しているか調べたい。中高生の意見が聞きたいので、RTで流してもらえると嬉しい。
— よしの とおる (@tohruyoshino) 2020年1月26日
据置機でもスマホでも構わないです。ゲームをよくする(した)人が対象です。
そして今回の件で一番制限したいのは、どうもソーシャルゲームのようだ。スマホでやるゲームが一番の対象のようである。スマホさえあればできるソーシャルゲームは、据置機のゲームとだいぶ趣を異なる。
無料だし、最初は暇つぶし程度のつもりだった方も多いと思います。しかし、ゲームをすればするほどのめり込むようにゲームは作られていて、ゲーム会社の術中にハマった者は、空いた時間はゲームばかりするようになります。
記事でも言われている通り、ゲーム機をいつも持っている状態なので、時間を取られやすいのは確かだ。ハマる条件は満たしている。
ゲームは制限されるべきか
今回、ゲームの時間を制限する条例が出されたが、ゲームは制限されるべきものなのだろうか。
これに関しては、しんざきさんが面白いことを言っている。
私、もちろん「なんでその矛先がゲームやネットだけに向かうのか」とか、そんなもん家庭それぞれだろ条例で決めるような話かとか、いろいろ納得できない点はあったんですが、なによりもまず「子どもが、タスク管理・スケジュール管理のメリットを自分で気づく」機会を奪っちゃう施策だよなー、って思ったんですよ。
確かにゲームから学ぶことは多い。私も粘り強さとか戦略性とか、強い相手を更に強力な技で圧倒する快感とか、色々なものを学びましたね。ゲームから学ぶこともあると思うが、今回は趣旨が違うようだ。
当然ガチャをするもしないもユーザーの意思ですから、ゲーム会社のガチャによって利潤を追求することは資本主義のルールに則ったもので、制度上問題はありません。(中略)しかし、子どもはそうはいきません。(中略)ガチャも射幸心を煽るキャッシュバックのないギャンブルと私は思います。こんなもの、大人でも問題点大ありなのに、中高生が簡単に手を出せてしまう現状は恐ろしいことです。やはりこれは、ゲーム会社も責任があると思います。
射幸心を煽ってガチャとかに大金を注いでしまうことを危惧しているらしい。これには納得。子供は未発達なため、自分を制御するのが難しい。 そこはやはり外部からストップをかける必要があるだろう。
「誰」が?
判断能力が未発達な子供にはストップをかける存在が必要だ。個人的に、この点には賛成だ。
問題はそのストップを「誰が」かけるかである。
今回こんなに話題になったのは、行政がストップをかけたからであり、その点を批判されている。一番分かりやすい批判は「ゲームの制限に関しては家庭で決めるべきことであり、行政が口を出すことではない」ということだ。私もそう思う。
私も昔は親から「ゲームは1日1時間」と言われた。RPGだと全然進まないのだが、仕方がない。何なら母親もゲーマーだったので、「次のところの○○のイベントが終わったら、キリが良いから止めなさい」とまで言われた。逆らえねぇ。
そう、保護者の役割なのだ。が、なぜ行政が口を出してきたのか。
これは行政が親の教育力を信じていないのではないか。
教員をやっていると、親として大丈夫かと思うような対応をしてくる人を見ることがある。しかもモンペと言われるような常識が欠如しているような人では無く、普通の親なのだ。普通だったら、こういう対応してほしいんだけどなと思うことができない。かく言う私も人の親ではないので、もしかしたらそういう対応をしてしまうのかもしれない。
とにかく一昔前に期待されていたような保護者像というのは、もはや期待できない。そして行政もそう思っているのではないか。
ここにも書かれているが、「どこかから規制をしてもらった方が、注意がしやすい」と考えている親が少なからずいるのだ。私も仕事で、「○○については、学校側から指導してほしい」ということを言われたことが何回かある。「それは親が決めてほしいんだけどなぁ…」と思いながら、分かりました~などと言っている。
この先は?
今回の件は、家庭の領域に行政が介入したように見えるが、もしかしたら家庭の様子に見かねた行政がしびれを切らして介入してきたとも考えられなくもない。
ならば、これはある意味で「家庭の問題」になるのかもしれない。